夢と現実のハザマで…選択肢


鮮やかで可愛い色の久留米鶏頭
来年のためにタネを取りました。
IMG_5577.JPG
これ以降は本当のことではありません。手術後のICUでの幻覚(せん妄)と実際のことを織り交ぜて書いてあります。
〜 * 〜 * 〜 * 〜
そんなある日、この状況から逃れる選択肢を提案されました(誰に提案されたのでしょう?)。選択肢は幾つかあったのですが、詳しいことは忘れました。

4つ目くらいに『外国に行って果樹栽培の農園を経営する』を選びました。イスラム社会の国で、頭から黒いスカーフを巻いた服装の女性が果物を持ってニッコリ微笑んでいる姿が印象に残っています。
これを選んだら2度と日本には戻れないし、家族や姉たちにも2度と会えないという条件でした。

それでも私は、辛い今の状態から逃れられるなら良いと思いました。しかし、いくら待っても状況は変わりません。あの話はどうなったのでしょう。


ぼんやりした意識の中で、自分が死ぬかも知れないと思った時に『手術前はあんなに元気だったのに、手術しなければ良かったのに』と言われるのはイヤでした。何よりも『せっかく手術して頑張ったのだから、それを無駄にしたくない』思いが大きかったです。
その時に、家で庭仕事をしている姿が浮かんできました。

実際に娘が来た時に「お母さんは手術してからずっと辛いの?」と聞かれて私は頷きました。辛い理由はいろいろとあったのですが、タンを吸引されたり時々むせたりするのも辛かったです。痛みが無いのは幸いでした。
娘から「お母さん、私はどんな時もお母さんの味方だからね」と言われたことが記憶に残っています。

2週間ほどこんな毎日が続き、やっと人工呼吸器が外れて別のICUの部屋(CCU?)に移りました。数日後に点滴が外れリハビリが始まり、ゼリーから食事が始まりました。

部屋を移動することが分かった時、どんなに嬉しかったことか…『やっとここから逃れられる。他の人はどうする?助けなくていいの?とにかく今は自分がここを出るのが一番、あとの事はそれから考えよう』と思ったのを覚えています。

その後は個室に移動して4人部屋に移り、4日後に再びICUに戻りました。それからは別の辛い日々が始まりました。

まだ描き足りないことがありますが、このテーマはこれで終わりにします。長いあいだお付き合いくださってありがとうございます。拙い文章なので読みにくかったと思います。すみません。
今は自分1人で起き上がれて動けること、ICUに入っていた時に思い浮かべた庭仕事をすることができて毎日幸せに思っています。この辛い日々の経験が原点になっています。

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この記事へのコメント

2019年10月21日 23:31
いやぁ・・・凄い闘病生活をされていたんですね!!
私には真似できそうにもありません!
でも今は園芸もなさっているご様子・・・
一日一日、一瞬一瞬を大切に生きて参りましょう!!
ミサキ
2019年10月22日 14:57
宮星さん

最初から、こんなに辛い状態が分かっていたら手術をビビッタかも知れません。私の心臓が想定外だったのです。
でも今は手術して良かったと思っています。年齢や諸々のことを考えるとグッドタイミングでした。

この後は酸素マスクを装着したので、常にノドが乾いて辛い日々でした。

今はどれも懐かしい思い出になりました。